現在、こちら、ちょうど夜中の1時。早く寝ろ!と、思われそうなのですが、
ゴンタが仕事からまだ帰ってきていないため、こうして、殊勝にも、起きて待つ
私なのです。先日の夜中の事故といい、何かと事故が起こりやすい183号線。
しかも、事故が多発するのは、いつもうちの土地のすぐ前。私は、とても心配性
なので、こうしてゴンタの仕事(ロデオ)が夜中にまで及ぶ時は、たとえ何時に
なろうとも、ゴンタが無事に帰宅するまで、待つのです。ハチ公のような私。
と、書くと、とても「できた」妻のようですが、その翌朝は、ゴンタが休みにも
かかわらず早起きし、かいがいしく(?)朝食作りに励んでいる中、私は、
まだ夢の中。「朝ご飯できたよ!」と、ゆすられ、ようやく起床。。。
ね、大した妻じゃないでしょう!(いばるところでもないけれど)
ゴンタからの電話(12時頃)で、今回のロデオ、最終日にもかかわらず、
あと、まだ何チームも残っていて、更に2時間はかかりそう、という話。電話の
向こう側でも、夜中だと言うのに、アナウンスの声や、観戦の声が、うるさい。
今回、なぜ、ここまで盛り上がっているのか?と聞くと、ゴンタ曰く「優勝商品
(賞金)がすごい」。優勝者は、新型フォードトラックと、賞金5000ドル。
以前書いたお金持ち競技、カッターなどの賞金と比べると、大したことないのですが、remember?今週のこの大会、ゴンザレスローカルのランチロデオ。この金額
破格です。しかも、これだけではなくもっと何かあった!忘れちゃいましたが。
賞金等を聞いた瞬間、欲にかられ、思わず、ゴンタに、
Stop working, Start roping!(仕事なんかしてないで、牛に縄かけなよ!)
つまり、出場して欲しかったよ!と、訴えた私でした。そんな、私の、交通標語
のような発言に、ゴンタは、君は、本当に、おもしろい!と、大笑いして、電話を
切ってしまいました。私、かなり本気だったんすけど。。。ということで、私は、
まだ起きています。特に、何もやることがないので、今日は、久々に、自分が、
このテキサスの田舎に、腰を落ち着けるようになった(って、私ばーさん?)
経過の話の続きを、書きます。忘れる前に。(←やっぱり、ばーさんだ!)
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ハワイで、念願のイルカ鯨ガイドとして、働けることになった私は、その船で、
first officer(一等航海士)として働いていた、現在の相方、ゴンタに会い
ました。私は、最初(無理やり)所属させられた、アメリカン船で、数々の
典型的アメリカンキッズたちと働いていました。今思うと、自分も、あの年代
なら、あんなものだったかも、という感じもしなくもないのですが、それでも、
彼らの仕事は、あまり(というか、実は全然)学ぶところのないものでした。
例えば、ちょっと体格のいい(つまり、太めの)お客さんがいて、海に、
ぽちゃん(というか、実際ドボン)と、泳ぐために、海に入ったりすると、
「XX(私)、ちょっとあの人見て!すごい波しぶき!船が沈没するかと
思っちゃった!キャハハ!!」と言う感じ。そりゃ、失礼だろ!(しかも、
本人に聞こえたらどうすんだ!)という事態は、日常茶飯事。基本的に、
根がマジメな私、この子たちが理解できませんでした。
(でも、この子供たちの暴走を、止める度量もありませんでした。。。)
最初の最初に、アメリカで一緒に働いた同僚(キッズ)が、これだったため、
私は、アメリカ人に、相当幻滅していました。そのため、必死で、獲得した
イルカ船での仕事も、仕事内容は、大満足だったものの、同僚アメリカ人
(ゴンタ)には、何も期待していませんでした。アメリカン船時代は、キャプテン、
ファーストオフィサー以外に、ライフガード、バーテンダーと、数々のクルー
が乗船していたのですが、イルカ船は、キャプテン、ファーストオフィサー、通訳兼
ガイド(私)に、おまけのバスの運転手さん、という少数クルーでした。
ゴンタは、多くのお客さんと同じように、最初に、私のネームタグを見た途端、
すごくうれしそうに、「僕もテキサス出身なんだよ!」と、話しかけてきました。
当時、うちの船のクルーとして、働いている男子は、いわゆるハンサムくんが多く
クルー内からも、お客さんからも、もてている子が多かったのです。そんな中、
ゴンタは「かっこよくはないけれど、性格がいい人」または「友達に最適」と、
評価されていたのでした。私も「その通りだ!」と、納得しまくっていました。
アメリカン船時代、船で、当時流行っていたスムージーという、凍らしたフルーツを
ジューサーでガーッとまぜた飲み物を売っていました。これは、ワイキキなどで、
専門店もあったりして、普通に大きいサイズのカップで、3ドルいくらとかだったり
したのですが、うちの船では、お試しサイズ?と思えるほどの、アメリカにしては、
非常識なほどのミニカップで、4ドル販売という、暴挙に出ていました。これは、
さすがに、visiting fireman(お金をたくさん使う観光客)であるお客さんたちと
言えど、これは、ないだろ!という感じで、ほとんど、売れていませんでした。
そのため、スムージーは、もっぱら、私たちクルーのおやつ化していました。
しかし、炎天下の中、私たちが、(タダで)スムージーを飲んでいたりすると、
それを見たお客さんの子供たちは「僕(私)も、あのアイスのようなのが欲しい」
となるもの。私としては、「どうせ、詐欺のようなサイズなんだし、このくらい
タダで、サービスしてあげようよ!」案を、常に、提案していたのでした。しかし、
私に賛同するクルーは、誰もおらず、みんな、子供に対し残酷にも「あのね、
これは、4ドル。お父さんかお母さんに言って、お金をもらってから来て!」と、
言い放っていたのでした。そう言われ、現金と一緒に、再び帰ってくる子はゼロ。
「あとで、地上(?)に降りたら、(もっとちゃんとして、大きいのを、妥当な
値段で)買ってあげるから!」と、全員、親に言われていたに違いない。私は、
特に、子供好きでもないのですが、この事態が起きるたびに、なぜか、子供
たちに対し、申し訳ない、という罪悪感でいっぱいになっていたのでした。
イルカ船も、ハンバーガーに、ソーダ程度の軽食は、用意されていました。
全てビュッフェスタイルだったので、それを、用意するのもゴンタの仕事でした。
そこには、やはり、あの魔の(?)スムージー用ジューサーがありました。
しかし、アメリカン船と違っていたのは、全く使っている様子がなかったこと。
ゴンタに聞くと、最初の頃、毎回「壊れてるから」と、繰り返していました。
しかし、お社長に訴えて、修理を頼む気配も全くなかったゴンタ。後に、あの
「詐欺」スムージーを、堂々と、お客さんに、売りつけるようなマネだけは、
したくないため、会社側には、「故障」という言い訳をしている、と、こっそり、
教えてくれたゴンタでした。
ゴンタは、本当に、働き者でした。そして、(ここが、ポイントなのですが)
「どんなお客さんにでも」とても親切でした。人種、性別、年齢関係なくです。
もちろん、チップも関係ありません。とにかく、いい仕事していました。私の
他人の、チェックポイントは、基本的に「仕事」なのです。ゴンタは、イルカ
や鯨も、経験から、よく理解しており、それでいて特に知識を、ひけらかすわけ
でもありませんでした。私は、そんなゴンタを、どんどん尊敬していったのでした。
他のクルーから、聞いた話なのですが、ある日のクルーズで、一人の日本人の
お客さんが、船酔いをしてしまい、トイレまでもたず、駆け寄ってきたゴンタに
思いっきり吐いてしまったことがあったのです。ここで、私が、最初に働いていた
キッズクルーたちなら、「ちょっと、あんた!」と、激怒するに決まっている。
(いや、本当に、そういうやつらだった)ゴンタは、不快な顔1つ見せず、
ずっとそのお客さんの背中をさすってあげていたそう。臭いもすごかったそうなの
ですが、最後まで、親身で、あれこれ、世話をしてあげていたということでした。
その後、私にゴンタ、そして、アメリカン船時代、最初から、仲良くしてくれた、
まさしくお人形さんのようだったジェニファーを初めとする、ほんの一部の仲良し
クルーと、たまに、バーベキューをしたりするようになりました。今思うと、とても
不思議だけれど、ジェニファーも、なんと、テキサス出身でした。これもまた縁。
その後、私の乗船スケジュールが、増えるにつけ、私と、ゴンタは、一緒に働く
機会も増え、そして、私たちは、急速に、仲良くなっていったのでした。
*ハワイで通常よく、見ることができる、Spinner Dolphin(ハシナガイルカ)。
一般にテレビのフリッパーのモデルになったり、(私は大反対ですが)水族館
などで見ることができるBottlenose Dolphin(バンドウイルカ)より小型で、
縦に水面よりジャンプし、クルクルッとスピンします。小型のイルカなので、
敵から、身を守るため、ほとんど団体行動。スピンする理由は、現在も研究
中ですが、おそらく仲間に危険を知らせる合図のよう。私が、ハワイで
恋しいと思うのは、今でも、この子たちに毎日会うことができた夢の日々です。